被災された方々への心からのお見舞いと、一日でも早い復旧をお祈りいたします。
こうなると、当日の自分のことを書くのもどうだろうか、と思って戸惑っておりましたが
リアルタイムでツイッターやメールで途切れ途切れの情報をもらい、なんとか凌いだ帰宅難民になった者なので、少しご報告させて頂きます。
野麦峠は新宿の某ビルの8階で、3時過ぎの休憩を心待ちにちんたら作業をしていた時に揺れを感じました。
幸い部屋は大変広く、机もPCプリンタ関係も低い位置に並んでいたので、高いところからの落下物などの心配はなかったのですが、いかんせん高層なので揺れはゆーらゆらとゆるくながく、まさに多くの皆さんが感じたような「船酔い」のような感じでした。
エレベーターは停止、階段を使って8階から地下1階の休憩室(私物などの置き場所)まで降り、家族に連絡を取ろうとするも回線がまったく繋がらず、じらじらしながらまた業務室へ、しかも業務室には携帯持ち込み厳禁で、この非常時でも外との連絡は取れませんでした。信じられない。
業務は結果的に中止となり、小一時間待機の後、4時半に帰宅許可がでました、つうか、その指示もすごい曖昧で管理者へらへら笑ってるし「どうせ電車動いてませんし」とか言うし、こっちは情報がまったく遮断されており。窓から電車が止まっているのはわかるくらいで(まあ職場への怒りは長くなるのでもう愚痴りません)。
おばちゃんたちは逞しく、歩いて帰れる人はとっとと許可の前に帰途について行き、たまったまいつものスニーカーじゃなくバレエシューズなんか履いてきた私はうっかり取り残されてしまい。
新宿南〜西口は非常に人が多く、まさにそのど真ん中。電車が動くまでのつもりでコーヒーショップに入って待機してしまったのが甘かった。
会社が徒歩圏内で、先に帰宅した相方から途切れ途切れのメールで経過の情報をもらうも電車の復旧が見込めないことが判明、車で迎えも無理、とのことで、新宿で避難所になっている都庁に向かうことへ。
携帯の電池残量も心細いし、なんか食べないと、とか思うも、たくさんあるコンビニにはおにぎり等も携帯バッテリーも見事に残っておらず、吉野家なんかも店じまい、人はどんどん多くなり、かろうじてオヤジ御用達の小諸そばでおそばを食べて、コンビニで買えたのは1Lのお茶のみ。
都庁で庁舎を開放してくれていて、椅子は既に全て埋まっていたけど、普通に暖房が入り、ダンボールも支給してくれたので、床に座り壁に寄り掛かることもできました。テレビではMXを流していたようで(ちょっと遠かった)、緊急避難場所の情報が絶えず流れていました。相方も自宅でMXを観ていて都庁情報を知ったそうです。
繋がらない携帯でツイッターチェックなどして、電車の復旧の情報なども得ましたが、なにしろ新宿なので絶対巻き込まれて大変なことになると思い、てっぺん超えて、いっとき夜明かしの覚悟をしました。
12時半ころ、私鉄の大半が動き出したようで(JRは終日駄目だったみたい)、人も動き出したので、うちにも心配かけているし、一人で身軽ではあるので帰宅を決意。
西口地下の屋内イベント広場で、大ビジョンでテレビの映像を、改めて初めて目にしたのは
まっかに燃え盛る火山のような大火災
改札に押し寄せる人の波、波、波、暴動でも起こりかねない緊迫感。
「押さないでください!」「走らないでください!」と絶叫する改札係員、我先にと押し寄せる乗客。
実は都庁の床に座り込んで「なんであたし、こんな時間にこんなとこにいるんだろ」とぼけたれていましたが
このとき、初めて恐怖を感じました。
もしこの大都会で、災害が起きたら、いったいどうなるのか。
電車は各停でしたが無事に走り、駅まで相方が迎えに来てくれて、深夜2時過ぎにようやく家に辿りつきました。
家は奇跡のようになんの被害もなく、一番怖かった食器戸棚も私のボンクラ本棚もガラクタ類も見事に無事でした。ただ一つ、二階の寝室のブラウン管の重いアナログテレビが棚から落下し、死亡してしまいました。揺れが南北方向だったらしいのが原因のようです。食器戸棚も本棚も東西方向だったので。ほんとうに助かった。
各実家の家族も、妹家族も無事でした。仙台に住む従兄弟の安否が判らないそうなので心配なのですが。
職場の非常階段は、壁が剥がれて落ちてました。免震効果とのことらしいけど「ホントかなあ」と相方が(え?恐っ!)。
今回に関しては、私という人間の非常なるボンクラ加減に、なんかあったら自分の責任が取りきれない、という不安感でしょうか。人間一人では生きられない、とはいいますが、それにしてもひどすぎる(という反省点がてんこもりでした)。もし子供がいたら守ってやれるのか?無理だろ?もっと図太く、したたかに、芯を強く持たなければならない。
ご心配頂いた皆さんに改めて感謝と、これ以上の被害拡大がなくなること、一人でも多くの方が救助されること、家族とあえること、笑えること、生きていく勇気をとりもどしてくれること、などなどなど
祈ることしかできませんが。
一日でも早く、一人でも多く。復旧を。