2010年11月08日

99年の愛 JAPANESE AMERICANS

今も思い出せる。90年代頭、朝8時30分の渋谷、今は無き渋谷東急文化会館。職場へのバスを待つ間に見上げる壁面いっぱいのTBSのでかい垂れ幕。
「新番組 渡る世間は鬼ばかり」

そう、私は他にもれず橋田ドラマが苦手でした。
ふるい固定観念、言葉づかい、内容の主に人格の決めつけ、意地悪、意固地、その他もろもろ。

でも、母は「渡鬼」のファンで、ずっと楽しみに観ていました。
20代後半からお世話になった職場の、見た目おばさんだが仕事の鬼の鋼の主任のお気に入りで、木曜日だけは残業しないで帰る目的も「渡鬼」でした。

なんでそんな、観てやな気持ちになるドラマなんか観るの?
それは若かったのだな。

JAPANESE AMERICANS
幸いにして、5夜を滞りなく観ることができました。
橋田脚本で5夜連続2時間強、そんだけ聞いただけで正直うわあと腰が抜けました。
それでも時は過ぎて、あれやこれやがあり、生クサナギさん舞台も開け、ドラマも始まりました。

たとえば、日系5世(4世だと思ってた)の男の子がなんであんなに流暢に日本語で昔語りをするかとか
そんなのかんけえねえ、って。

橋田壽賀子さんの、伝えたいことが、失礼ながら初めて心に響きました。

終戦65年。
母は産まれたのは戦中の東京だが、九州に越して多分苦労を感じたのは戦後の成長期で
父は地元山形で東京の人の疎開先として過ごした時代があり、それほど自分の娘に戦争の話はあんまりしないお気楽極楽なひとで
ダンナの親、私の義母は東京ど真ん中生まれで、末娘であちらこちらで相当苦労したらしい戦中派。

橋田センセイは義母よりも年上なんだ。
そして年上の人間を、否定することはできない。
それを思い知らされたドラマであり、自分達の人生を振替えさせられるドラマでした。

不思議なのは、たとえば外から妹が「クサナギがえなりにかぶるー」とメールで伝えてきたけど
クサナギさんの台詞回しが、独特の橋田節に乗っ取られていなかったこと。
コドモは橋田節バリバリだし、仲間さんもそうだった。「ありゃしない」とか平気で言っていた。
だけど、思い返すにクサナギ長吉一郎に、橋田臭を、それほど感じなかった。

役者の力か。

そんでもって、4日ドラマ2日目に、「K2」観賞だもんなあ。
長年クサナギウォッチャと思っていたこっちがやられるっちゅうねん。

今までクサナギさんの大きな仕事にわくわくそわそわして、想像の上を行かれて泣いてた、ということがおおかったのだけど
もうこんなちっちゃいファンの端っこの心配はいらないね、しっかり足固めは出来たしね。
このあとは、結果を楽しませてくださいな、という気持ちになりました。

こまばアゴラ劇場待合室で、「悲劇喜劇」のつかこうへい追悼特集を手に取り、劇場という環境で感極まってしまった。ニシキ先輩は3ページくらいあって、語りおろしみたいだったな。真奈美ちゃんはまた劇団員として鍛えられているので2ページくらい(あの主演舞台も怖気たったよな)。あれくらいのラフさ、楽さで語れる立場だったらいいのにな。事務所きついなあ。
もうつかさんくらい剛を剛の人間味の単位まで語ってくれる人はいなくなってしまったんだろうなあ、と、そういう意味で、つかさんには失礼ながら、悲しくなってしまった。あれから10年経って、いまや奴は舞台ではチケット激戦テレビでは特別番組に11時間とかのモンスター役者になってしまった。

彼の成長を喜び祝うとともに
かつて、そのたんびに「お前は?」「お前は?」と想像上のクサナギが、私に問いかける。
その答えを出しきれないでいる自分にもがいてきた、この10年。

どうするか。これから考える。考えても考えても、道は長いぜ人生。問題抱えるよそじすぎ(涙)。


posted by NEMUKO at 16:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | クサナギツヨシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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