11/4 観賞。
今回はチケットの神様に見放され、全面的に親切な方にお譲り頂くことになり
嬉しいと同時に申し訳ない気持ちがありまして。緊張いたしました。
しかも初日から一日の休演日を挟んだ、3回目の上演。
むずかしい。とても、むずかしい。
哲学だ。
なるべくネタばれをしないようになると、ものすごく曖昧な感じになりますが、私の感想。
舞台装置は上から下まで(全部奈落、言葉があってるかなあ)全て雪山。
遭難した二人が動けるのは舞台のまんなかにある限られた場所(設定地上8100m)で、剛演じるテイラーは上り下りのアクションはあるのだが、それ以外はすべて切り立った雪山。山は女にたとえられるのだっけ。とんでもないじゃじゃ馬と。
堤さんハロルドは、理性的で物事を冷静にとらえる物理学者(滑落の際骨折、動けない)。
剛テイラーは、熱くなりやすく感情の起伏が激しい地方検事。
物理学者が、哲学を語っているんだ。
しかも翻訳劇だから、独特の持って回った言い回しや、形容のしかた。30年前の脚本で、シリアス劇だ。コメディならともかくとっつきやすい訳がない。
極限が身に迫ったら、人はなにを思い何と戦うのだろう。
客席に座ってまったくの傍観者としてでも、そういう意味では、じんわりと胃が掴まれる感じ。
そして、前の日テレビでスガコワールドでにこにこと無邪気な若いアメリカ移民を演じていた剛。
こんどはそれこそ3Dで、気性の荒いアメリカ人になっている。
剛、遭難してんのに元気じゃん、と思いました(笑)。それだけ激しく感情がのたうつ。
さすがに翻訳劇は初めて(だよね)で、独特の罵り語を連発するので、違和感は否めず。まだ「クサナギツヨシ」が舞台上にいる。
テイラーを演じているが、テイラーは憑依していない、ような気がしました。
それを考えると、「役者」クサナギツヨシは、テレビドラマも映画俳優も舞台役者も(SMAPのアイドルも)こなす、危なげない到達点に達しているのではないか。この先はどんな役でも、観客と言う名のファンとしてはなにも心配することはない。
もちろん、このK2はまだ始まったばかりで、こなれていません。テイラーは、まだテイラーになりきっていないと思います。
ただ、問題は時間が解決する。舞台は生き物。しかもあんなに動ける役者、剛しかいない?ダンス万能説的な。
文脈がぶれてますが、そんなテイラーを、骨折により「動き」を制限された堤ハロルドが、しっかりと受け止める。それで成り立っています。
いろいろな気持ちが動く中、私は、クサナギツヨシの役者としての目覚めから成長期を観てくることができて、幸せだったんだ、と思いました。
ある到達点に達したというのは、そのことだと思います(もちろんその先長い道は続きますが)。怒鳴り叫ぶテイラーは、蒲田行進曲のヤスではありませんでした。
この10年間はつかさんのプレゼントだったのでしょう。(このあいだ演劇誌のつかさん追悼特集読んじゃって。錦先輩の寄稿とかあって。買えばよかったなあ)
あああああああああああああああああああああああ。
今度は20日に観ます。またまったく違う舞台に成長していることを楽しみに。
逃げちゃだめなんだ(自戒・むんぬすごい自戒・個人的に猛反省中の俺)。