4月12日午後9時30分。
父が、天に召されました。
ALS、筋萎縮性側索硬化症という、全身の筋肉の力をすべて失う病気と、約10年、自力呼吸を失い人工呼吸器を装着して7年、闘い抜きました。
昨年の12月から入院しており、桜の花の頃には良くなってお花見に行こうね、とみんなで声をかけていたのですが、正月に一時退院したものの様子がよくなく再入院し、先週の月曜日、頑張って頑張って、頑張りぬいたので「もういいはあ(山形弁)」と言う感じで、私と妹が病院に駆けつけるのを待って、ぱたんと心臓が止まってしまいました。
父は山形出身で、葬儀の前に、自宅で納棺の儀を行ってもらい、旅装束を付けてもらって、お釈迦様の弟子になるために旅立ちの準備をして、信じられないくらい綺麗な顔で、まさに旅立ちました。
親戚から、若いころから懇意にして下さった方々までたくさん通夜葬儀に出席して頂き、私たちが知らなかった、「かっこよくて憧れの浩ちゃん」だったころの話をたくさん聴かせて頂きました。
私たちにとっては、チョロ松ですっとこ親父だったのですがね。
いっつも1人でふらふらと朝からどっかに出かけて、凧揚げ見たり、どっかの飛行式見たり、揚句はなんかのイベントで、テリー伊藤さんと一緒に写真撮ってもらって、そのはにかんだ笑顔が遺影になりました。
私は「ご長女様」だったので、頑張りましたよ。
喪主の母を支えて、精一杯、父を送ることができました。
私の主人も妹の旦那氏も、ものすごい心強い身内となって、一緒に父を送ってくれました。息子が二人もできて、相当な行き遅れだった私たちの精一杯の親孝行だったと、心から二人に感謝しています。
この10年くらいを振り返って、病気は相当酷できつかったけど、父は「ありがとう、長生き出来てよかった」と最期に言葉を残してくれたとケアマネージャーさんに教えてもらって、本当に良かった、と思いました。
父が苦しむことなく眠ることが出来たのなら、よかったね、ゆっくり休んでね、という気持ちでいられると思います。
あとは、何があってもずっと父を看てくれていた母の少しでもたくさんの支えになっていこうと思います。
朝からいろいろ考えて、昔を振り返って、なんかどうしても上手くまとまりませんが。
お父さんの娘で、今まで楽しかったよ、本当に、ありがとう。
皆様にも、長い間にわたり、ご心配や温かいお気づかいの言葉をたくさんいただきまして、心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。言葉が足りませんが、お許しください。
そんじゃ、あともうひとつふたつ、後処理頑張りますっ。
NEMUKO