2014年06月15日

時空を超えた奇跡―BIG ECHOの偉業

ご無沙汰加減も甚だしいですが。
相変わらずジョブホッパーで、パソコンが機嫌を損ねてせっかく行ったエクセル講習の復習もできず、スケジュールぎっちぎちにしていたら、ふらりと体調を崩し。
つかの間のお休みです。歳も重ねました。次の仕事こそ頑張りたい。私は普通の仕事を普通に全うしたいだけなのに、なんでこう現実はトラブル続きなんだろう(それが世間よおばちゃん)。

さておいて。ちなみにステマではありません。
一つ下の記事で、恩師ジョン・ブロウカリング氏との思い出をつづりましたが、ジョンに影響を受けた当時学生は全く少なくなく、去る14日土曜日、
Model Production 88の仲間たちと、ジョンを偲ぶ会をもちました。

まず当リハ場だった、当時東京水産大学(現東京海洋大学)のキャンパスを巡りました。
品川駅の港南口の再開発から15年くらい?みごとに迷子になりました。
 
結構忘れてるもんですね。
「なつかしー」「覚えてねえ」「ここで衣装合わせした」「このクジラの標本、当時どうなってたっけ」
当時使っていた中部講堂では、オーケストラ部が練習していました。
飲み会の場に移動、メンバーが当時の公演のVHSをDVDに焼いて、みんなで鑑賞会やろう、というのも会の目的のひとつ。
人数が多くなってきたので、近くのBIG ECHO 品川港南口駅前店に場所を移しました。

が、
趣旨を説明し、お店の方がDVD上映に賛同してくださったのに。
デッキがDVDを読まない。
友達が持ってきたPCでも読めない。
ファイナライズはしてあったはず。おうちで動作確認もしてもらっていた。

「あの!VHSのビデオテープなら持っているんですが、デッキお持ちではないですか!」
DVDを焼いた女の子が、お店の方に聞いてみた。
バックには、ナチュラルスキンヘッド(2名)を含む、いい年の男女14名。
「・・・わかりました。確認してみます・・・」
圧倒されたお店の方が、探しにいってくださった。

「ダメなら仕方ないよねえ」と、当時(50's)(理由なき反抗)のミュージカルナンバー、エルビス・プレスリーを爆音でかけてみんなで絶唱しました。
その後話は尽きないもので、語ること、入店1時間半は過ぎていたでしょうか。

扉が開き
そこに現れ出でたるは
VHSのビデオデッキ!

BIG ECHOの責任者の方でしょう。
この客連中のために
都内の店舗探しまくって
日付が変わる前に、運び入れてくれたのです。

What a surprise!
鳥肌立ちました。
動作確認、ちゃんと画面がきれいに映っている。
さらに鳥肌。

すげえ盛り上がりました。
しかしシンデレラタイム。12時回ると終電がなくなってしまう。
また上映会をするならば、BIG ECHO 品川港南口駅前店で決まりです。

相方とチョンガーズのアニカラもBIG ECHOに行かせます。
トマパイの歌(6曲くらいしかない)あったりするかな。

ひとつ大変なお詫びを。
DVD所有量がハンパないことで知られるジャニヲタの一端を担う私としては、VHSをDVDに焼くことは日常茶飯事だったことも、ああ、ありました。
それもつかの間。2年前ブルーレイにしてVHSの配線を繋げなかったら、ただのおばちゃんと箱二つ、と化してしまい、DVD焼くよ、に手を上げられなかったんです。
86年のターザンや、「Run for Your Wife」が見たい方がいたら、既にやいてあるので、DVD持っていけるんですが。

ひとつだけ
奈良橋陽子さんは、英語がとても優しくて易しい。
中学生だった頃の私のよちよち英語の土台になり。
そして演出する舞台はダイナミックに華やかに広がる。
Jonの舞台は、まずコンフリクト。
キャスとはジタバタもがいて、できなくて、涙を流して、演じるな、役を生きろといわれたらしい。
一方でスタッフともコンフリクトありきで怒りっぽく、ケンカばかりしていた。
それを俯瞰で(客席から)観ると、ポイント・オブ・ビューが確実に定められていて
観ていてとても観やすい舞台つくりだった。
高校生私が、陽子さんの次にJonの舞台を観て、どっぱまりしたのに、いま理由づけがされたきがします。
Fameの時、3年生になる春休みに「れんしゅうけんがくさせてくださいっ!」って代表者の方に電話までして。
それが大学受験のすげーモチベーションアップになったのでした。ねむちゃんの青春。


また身内話でブログを書いてしまいました。
榊原大さんのコンサートも2回ほど行き。むんぬすごくかっこよくて、
今年はあと2回分チケット取ってて、秋冬に決定してるのがもう2本あって。
すまっぴさんたちのツアーもあるとなると、ぷうたろうなんてしている場合ではないのだけど。

何を大事に心の奥そこにとどめておくべきか、なにに集中すべきなのか
人生40年以上生きてくれば、いろんなことができたはずです。
これから「できること」を過去の「できたこと」とリンクさせて
いい人生、おくって行きたいです。

梅雨の合間の青空は、目に眩しい。

バブルの子 -
バブルの子 -
posted by NEMUKO at 14:10| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | NEGOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月29日

Late Great Jon Brokering

2014年4月20日、私の大切な恩師であり、友人であるJon Brokering氏が亡くなりました。
57歳の若さでした。

ついこの間のある晩、先輩から件名なしのメールがきて「誰かから連絡きた?」とあり、
またまたー、と思った私は「今度誘ってくださいよー」くらいの返信をしたら
「いい話じゃないんだ、Jonが」とあって。


私が知っているJonの話をします。
神奈川県に住む一介の高校2年生だった私は、1年生の時から見ていたModel Productionという、関東の大学生のミュージカルを見に行き、
題目は「Promises, Promises」(アパートの鍵貸します、のミュージカル版)でした。
今回は演出家がアメリカ人なんだなあ、と思って、果たしてそれはJonでした。
そのころ、20代後半から30代頭のJonは、学生の英語劇指導にとても熱心で、英会話学校MLSでも講師として活躍していました。
女優藤田朋子さんや、宮藤官九郎夫人であるところの八反田理子さんが、そのころMLSの舞台で活躍した時に、ディレクターであったのはJonでした。
MLSの生徒ではなかった私が中学2年の時に最初に観たミュージカルは、「The Sound of Music」で、Captain Trappを演じたのがJonで、正式に言うとJonにあった(てか、観た)のはこの時が初めてです。

時は流れて英語ミュージカルに憧れ焦がれた私が大学に入り、Model Production 86、87とスタッフ、コミッティーで参加し、3年次の88年にディレクターに就いてくれたのがJonでした。
題目は「Rebel without the Cause」(理由なき反抗)。
ジェームス・ディーンの代表作です。
今となってはJonがどこでこの脚本を見つけてきたかは知らないのですが。
2年3年と実行委員(コミッティー)になった私は、早くからJonと打ち合わせを始めました。
杉並区久我山の変な一軒家に、「My House is Your House!」と招き入れてくれ
至る所好きにペイントされていたり、鍵がないトイレは誰かが入ると自動的に音楽が流れたり、ベッドルームが異常に広かったり。
当時Jon独身で、30ちょっと。普通にイケメンで、熱くて優しい、変なところで頑固なアメリカ人。

ここだけの話(ってか、今更なんだかw)
3年になる春に、高校生の頃から憧れたMPのオーディションを受け、ざっくり落とされたことと。
学校の友人後輩先輩がそろってキャストに選出されたこと。
ダブルショックで、夜Jonの家を出たその場で誰も見ていないところで、悔しくて泣き崩れました。だってキャストやりたかったんだもの。
今となれば、その時の私には、必要であったキャストの要であるギャング性も、それを見守る母性的なものも備わっていなかったのでした。

きっぱりと、コミッティーに専念しようと思ったものの、スタッフサイドはどうにもしっくりといかず、首脳陣が固まらず、大道具チーフの中さん(実名w)にすがったものです。
あのとき中さんがいなかったら、舞台は幕を開けられませんでした。
もちろん舞台監督の健ちゃんや塚ちゃんがそのあと頑張ってくれたおかげでもあります。

MPは春の風物詩で、5月の公演が終わったら解散します。
実は89年のオーディションの前にJonから直接「君ががんばり屋だということも、キャストがやりたかったという気持ちもよく分かった。89年のディレクターに紹介するよ」と言ってもらったんですが、さすがに大学4年の就職活動期とゼミ活動に時間を取られてしまうので、丁重にお断りしました。

で、春になってもぞもぞ、就職活動も適当にメンバーでもないのに居残ってリハ場に通っている、という体たらくでw
そして90年初春の、関東英語劇界の伝説となる「AZ」(アズ)の公演へとつながっていくのでした。
Jonはほいほいと、MPの時と同じようにバイクに乗ってAZ1のリハ場に来てくれて、2年後のAZ2の時には(親友のとおるさんがキャストで)(ちゃっかり)(また自分がやりたくなっちゃったから)ディレクターを買ってでてくれました。どれだけ日本の学生と英語劇が好きだったんでしょう。

人生いろいろ流れます。
ESSの人間は基本的に英語を勉強しているので、海外勤務につく人も多く、アメリカやヨーロッパやアジア各国に、日本でも各地に勤務地が広がったので、東京にいる人はすくなくなりました。私は彼らをいいなー、と羨みつつ、日本で英語と会計のおべんきょをしていました。

行き遅れの私が嫁に行った、07年の夏。
先輩に恵比寿である芝居があるよ、来ない?と声をかけてもらいました。
とっくに久我山を引き払い、結婚もして、アメリカやイギリスに行っていたというJonも来るよ、と聞いて久々の再会にちょっとときめきました。
「How’re doing?」
「Fine! How have you been!?」的な、お約束の挨拶が口をついてでました。よかった。
Jonはニホンゴペラッペラナアメリカ人なので、こっちがなあなあの会話をしても理解してくれるのですが、こっちは友達とはいえ生徒なので、英語で話します。
「なんでまだそんなに英語で話せるの?」とJonに聞かれて
私は「だってしゃべるのがすきなんだもの」って返しました。

英語を勉強していてよかったと思った瞬間でした。

その後またJonがアメリカに行っているよ、と聞いて。
3年前の秋、また学生の英語劇大会でJonを見かけて
「Jon! いつ帰ってきたの?」
「去年だよ、またあとでね」
「See you!」

それがJonと私の最後の会話でした。

Jonの病魔は、Cancerでした。
それも再発ではなく、原因もよくわからない難しいCancerで
ご家族でも、Jonと奥様とだけで、娘さんにも息子さんにも内緒にしていて
ましてや親友の、とおるさんにも伝えるな、とのJonの強い意志で。
痛みに苦しんだことでしょうに、Jonは、Cancerは僕の友達なんだ、と
すっごいポジティブに向かい合い。

逝ってしまいました。

泣いたよ。めちゃめちゃ泣いたよ。
でも、あなたのおかげで20年ぶりとかに会えた友達もいたから
気が付いたら笑っていたよ。すごいしゃべっていたよ。
あなたが見ていた私はものすごいおしゃべりだったものね。
しゃべんなきゃ私じゃないかもね。

今はネット社会で、便利なツールがあったもんで
繋がりにFacebookに手を出してみました。
みんながJonについて、思いの丈を語っています。
人はみんな生まれて育ってやんちゃやって落ち着いてやがて老いて逝く。
そのタイミングは、Jonの場合ちょっと早かっただけでしょう。
もっと前に神様に召された仲間もいる。
私たちも少しの間悲しんで、そしてまた各々の生活を営んでいきます。
見守っていてください。

Rest in Peace.
My dear Jon Brokering.
From Hiromi
posted by NEMUKO at 22:29| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | ステージ、シネマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月09日

二月は逃げる2014

こんばんは。

2月は逃げる2014バージョンNEMUKOです。
都知事選結果にげっそりしてます。
今まで政治をそんなに気にしてなかったってのは、世情に乗っていたからでしょう。
おおこわ、そんな40代。

さしたる大事はないんですけどね。
流れでこうなった的なことがいくつかありまして。
うちのメインだったデスクトップPCに問題が出てきて、それそのものが問題になって
急遽PC購入になって(相方の活動に必要だった)。

そんで相方が新ノートPCに向かっていると私がツイッターとかできなくて
「もう一台必要?」つーことになって
買ったノートの、ジャスト半分の大きさのタブレットPCを購入するに至り。

お正月をまたいで慣らしに格闘しました。
Windows8.1 これがクラウドってやつか?を親機からのトランスファーでびっくりし
同時契約したWi-Fi、つながんねーと実家でイライラしたりし、
1月の風物詩か、直近のスマートフォンを機種変したのの2年前と全然違ってめんくらったり
おばちゃんには益々難しい世間になりつつあります。

難しい世間にめげずに
現在フランス系の会社で、マレーシア相手にする職場で格闘しています。
言っていることはわかる、が、対応が難しい。
そんな現場で、明日からも戦わなくてはいけません。
この戦場で対応できなくても、別の戦場では別の国がアウトソース先だったりするし
大した違いはない、ここで頑張らなくては。

て、ついったで、たびたび愚痴ってる気持ちを上げてみたりしました。

日々に立ち向かわなくてはなりませんしね。
現職のHちゃんは3末で産休に入るので、一応その引継ぎ要員でしてね。
用が足らなかったら、お暇ってことにもなるかもしれませんでね。
これがまた、めんどくせーしごとでしてね。
私でダメなら、だれがOKなんだろう、とか思いつつですね。
現場の評価を待つ一週間になるでしょうよ。

さて、明日を憂慮しつつ、寝ましょうかね。
寝て明日になればなんとかなりましょうよ。
明日出勤すれば、11日は祝日で、甥っ子ふみが、動物園の象のハナ子さんを見がてらうちに来る予定。

マウス無しに結構操作できるようになりました。
これで外に持ち出してスタバとかでシャレオツに回すとかできる(中身は別にして)

来月は千葉の遠くに、大ちゃんのライブにいきます。チケットとりました。
ではまた。
posted by NEMUKO at 23:05| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | NEGOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月21日

榊原大 Christmas Concert 2013

ご無沙汰しております。

つーわけで、ブログを放置しましたごめんなさい。
今年は非常に波乱万丈な一年でありました。
あっつーまに12月しかも毎年恒例品川参り。

改めまして。
私は、振り返ればそうさな、ピアニスト榊原大さんの20年来のファンの一人であります。

社会人一年目の年末、すっかりやさぐれた気持ちで住み慣れた実家で紅白を観る年越しで
西田敏行さん司会の回でしたな。
その年の目玉の一つである、初のインストルメンタルバンド、G-クレフ。
ヴァイオリンを持って走りながら演奏する若者に目を奪われまして
そのまんまのテンションで夏に中野サンプラザに向かい、冬にその公演のビデオを購入し
大ちゃんのピアノに関しては「走らないで座って演奏して楽しているから」という理由でラップを担当してた、くらいの認識で
聴き続けたけれど、芸術的レヴェルが違いすぎたのか、彼らの音楽は私たちをとうに追い抜いて。
(でもクライズラーアンドカンパニーは売れ続けた、と)

時は流れ2005年。会社を辞めて隠遁生活を送っていたとき
朝の爽やかなえねちけから流れるオーケストラと、「音楽 榊原大」のクレジット。
再開した元カレが、実はむんぬすごく包容力を持っていたことに気づいた的な魅力に落ちて
山野楽器のインストアライブに足を運んで、フォールインラブアゲイン。
自由自在なプレイと、B型なる奔放さを感じさせるトークと、握手してもらった、暖かくて大きな手。

まあ長い前置き的な。

12月19日 品川グローリアチャペルにて
弦カルテットとパーカッションとのセッション。実に豪華なコンサートでした。

何度繰り返したところで、凡人には表現しきれない上質な音楽を
今年も届けてもらいました。
セレブ四重奏楽団から、ヴァイオリン真部裕さんと室屋光一郎さん
ヴィオラに紅一点の綺麗どころ島岡智子さんとチェロの実力派伊藤ハルトシさん
締めにベテランパーカッション石川智さん

やんちゃだった彼が、すっかり大人になって
でも、俺はカッコイイ、って自分でわかってるでしょきみ、みたいな
いうなれば木村拓哉的な空気をもっているにも関わらず
気さくなそこらへんの兄ちゃんにみたいな語り口がまた魅力だったりする
やっぱりB型のなせる技なのか
傑作「蜜」の渾身プレイを遂げた後で、破顔で「うれしい」ってあなた…
またこの曲が大人っぽいというかえろいっていうかまあ奥さん。

クライマックスに「El-do-ra-do」
明るい兆し「The Promissing sign」
恒例の出し物、今年はシスターになってゴスペルコーラス。
仮装してなお素な表情に戻ってしまった大ちゃんに笑いをこらえきれず。
一流のミュージシャンが一般人の宴会芸レベルで披露してくれるこのコーナーがなによりも楽しみです。

ってか。
ライブほど素敵なショウはない。って
毎日やってくれたらいいのにな、って思っていたら
「来年は、榊原大名義のライブをもっとやりたいと思います」との自ら所信表明。
来年は順当に行くとすまっぴさんのライブの年ではないですか。
かぶったらどうしよう、という取らぬ狸のなんとやらは考えずに
頑張ったらご褒美、の目の前のニンジンと思って
欲を張らずに日々を頑張りたいと思います。
お仕事も、精進します。
大ちゃんの笑顔と、神の与えし才のところのプレイをこの目でまた観られることができるよう

全てに、感謝します。
posted by NEMUKO at 01:51| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 榊原大 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月20日

まずご挨拶

すみません、ついにしーさーぶろぐさんから、広告を出されしまいました。

ブログ放置の理由。

PCが壊れた
新しいノートPCを購入した(結構なハイスペック)
購入した相方が、ぱそこんに入れ込んだ
日がな一日、相方がぱそこんといっしょ
私はいつの間にか、フルタイム社会人生活に巻き込まれ
あれよあれよと
時間と場所がなーい、的な
書くネタもなーい、的な

そんなこんなの師走であります。
覗いてくださる方、ご愛顧願います。
では。
posted by NEMUKO at 23:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | NEGOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月20日

私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな

ごぶさたしております。

急に涼しくなりましたね。
寒暖差が激しい昨今、ご自愛されますよう。

さて、最近わたしはといえばですね。
仕事の契約が終わってですね。
次の仕事の契約が決まりましてですね。
11月までつかの間の休日を満喫しております。

ででしてね。
このところのハマっているコンテンツがですね。
ポプラ社から今月発行された、ジェーン・スー著
私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな
でしてね。

お年頃の女性としては、みぞおちをパンチしてぐりぐりされる、超絶パワーのある珠玉のことばが並んでいるご本なのですね。
オノレが30歳の時に、タイムマシンででものって、届けに行かなくては、と思う名著でありますね。

スーさんは、毎週金曜日、東京のコミュニティFMソラトニワで毎週金曜「an ordinary Friday-つまり、シケた金曜日」(通称シケ金)と、TBSラジオで毎週火曜「ザ・トップ5」のレギュラーを抱える、トークモンスターでいらっしゃいます。

先週の金曜日。
シケ金の、公開放送を観に行きました。
原宿神宮前、しゃれおつなオープンスペースでの公開スタジオ。
ゲストは、スーさんのご友人の一般女性の「オリーブさん」
きしくも、この日はオリーブさんの40歳のお誕生日でありました。

この日の企画は
オリーブさん誕生日企画かどうかは判らずとも
人がいっぱい観覧にきているのでかどうかも判らずとも
「宅配プレーンチーズピザを、どこが一番早く配達して、どこが一番美味しいか」レース!
つうやつを実現されましてね。

番組中、出演者がピザ屋3社に直接電話をかけ
どこがいちばん早くデリバリーするか、という。

しかも、ガラス張りの外にいる観覧者にも分けて頂けるという(きゃー)

普通のテレビラジオでは絶対出来なくて、プライベートでも出来なくて、
スーさんが数カ月にわたって温め続けた企画が今。

美味しかったのは、ピザー○でしたwww

スーさんもオリーブさんも、微妙なお年頃でいらして
はたから見ると、すごく凛としてチャーミングな女性なんですよ。
弱い女には上から出て、強い女には引く、っつー、世の男性に腹が立つ的な上から目線をまだ持つ私ですが、
はたして今でもこれが男性社会の縮図なのか。
弱い女にしか男は出て行かないのか。
賢い女は出だしをどうすればいいのか。
スーさんの本を一ページ読むたびに、ぱたんと閉じてため息を、的な。
男と女、ジェンダーを考えてしまいましたね。
こういうくくりも、乱暴なのかもしれませんけどね。
女子校イズムに根差したものも多いかと。
私は高校大学、女子寄りの共学でしたので、青春期を普通に男子と過ごしたものの
男子のホンネはよくわからなかったり。
男はめんどくさいが、女も大概めんどくさいいきものなんだし。
相性が合えば盛り上がるし、相性悪ければはいそれまでよ、なんだし。
男と女しかいないこの世、そういう関係を数十年と続けていかなくてはいけないんだぞ、と。
大きく人間関係をとらえる機会にもなる、いいご本だと思います。

また機会があれば、観覧に行きたいと思います。
ラジオって、面白いよ。
posted by NEMUKO at 23:22| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | NEGOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月27日

ART

2013年8月25日昼公演千秋楽 東京グローブ座

グローブ座って何年ぶりだっけなーと、開場前からうろつく。
前に開場だった反対側に回されて、だっけなー、と従う。
女性客がにぎわうにぎわう。

ARTは、思い出深い作品です。
1997年秋にロンドン一人旅した際に当たりつけて行ったコメディ。
1999年くらいに市村正親、益岡徹、平田満で初演。
2001年に市村正親、升毅、平田満で再演。

お芝居にとちくるってた時期でありましょう。
平田満にとちくるっていた時期でありましょう(今でも大好き)。
主人公セルジュが白い背景に白い線が三本引いている画を、高額で買った。
そこで親友が、友情崩壊になるくらいの大討論をかます大騒ぎになるお芝居。
堅物セルジュ、皮肉屋マ-ク(今回マルク)、おとぼけイワン(今回イヴァン)

最初にチラシを見て予想していた配役はまるっきりハズレました。
マルクに萩原聖人さん、セルジュに須賀貴匡さん、イヴァンに山崎裕太さん。

ホンがものすごくいい。
だからもう15年越しに観に行きたいと思ったんだな私。
3人の親友同士の男が、一人のちょっとした言葉に反応して、とんでもない発言するなんか。
キャラがたっていれば尚更。

なんだけど。
最初の配役の並びで、あ、この人この役だ、って思っちゃったから(おばちゃん発想ですかね)
当日明かされた配役でちょっとびっくりして。
しいて言えば、山崎さんのイヴァンとか、想像してないから(ボケキャラなの)
ちょう見せ場の台本3ページくらいにわたる長台詞を途中でまるっきり噛んじゃって
残念極まりなかったのでした。
いや、そんくらいでこの舞台の評価を下げることはしませんが。
2000年周りの松竹舞台を観た(ついでにロンドンでも訳わかんないまま観た実績だけあり)身としては
役者が若いかなー。
もちょっと重みがあったらなー、という感想でした。

ヤスミナ・レザの丁々発止の脚本の面白さを、といったら
ポランスキー作品の映画「おとなのけんか」をご覧ください。
この作品の舞台(SIS作品)「大人は、かく戦えり」は私にはちょっとヒットしなかったんですが。

いい芝居を、いいコンディションで観たいなー。
来週は、「ART」再演と殆ど同時期再演「悪霊〜下女の恋」の再再演です。
初演松尾ちゃん、再演クドカンが演じたタケヒコを、らぶりー三宅弘城が演じます。
がんばれWeekday、仕事でハイテンションな分、フリータイムでへろへろな私ですが。

まじに私、何事も、いいコンディションで。
早く寝よーっと。
posted by NEMUKO at 22:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ステージ、シネマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月06日

Dai Sakakibara コンサート〜遊宴 Vol.6

8月4日 トッパンホール。

はい、榊原大さんです。備忘録です。
だれかお友達になって、一緒にメガネピアニスト男子萌えしましょうよー!
まじでかっちょえんだよー。

夏と言えば遊宴、遊宴と言えば夏、な感じになって早や6年目。
今年は山女の友人エリザベスに振られ(ダンナっちとやまのぼり)、一人で観に行ってきました。

毎年色々編成を変えて催される遊宴。ピアノソロから始まってストリングス、パーカッション、和楽器、木管楽器とのセッションなどを経て
今年の編成は、ピアノ2台とヴァイオリン。

ビンゴ!!!
開演前から2台のスタンウェイ(スタインウェイが正しいの?大ちゃんがスタンウェイっつってたよ)が舞台上にどーんと、圧巻でした。
共演のピアニストは妹尾武さん。ゴスペラーズを手掛けたことで有名な方だそうで。
折り目正しい感じの素敵な方でした。
大ちゃんと妹尾さんの持ち曲を代わりばんこに演奏だったのですが、私の席が若干上手側で、妹尾さんの背中側。大ちゃんの曲のメロディラインを妹尾さんが弾く、というのが不思議な感じがしました。
なんといってもグランドピアノ2台の共鳴。演奏中ずーっと鳥肌感が。
小さい頃ピアノを習っていて、妹と連弾なんかしましたが、それがずううっと行って神の域にはいるとああいう演奏になるんだなあ、と、なんか小さいんだか大きいんだか判らない感想。
事実、連弾からの発想か、ピアノを習うと必ず通るという、ブルグミュラー(これもブルグミューラーっていうの?初耳)の25の練習曲から、先生と生徒の連弾で聴かせる「オーストリアンダンス」と「貴婦人の乗馬」を。懐かし過ぎる(一応18の練習曲まで足突っ込みました)貴婦人の乗馬って、トイピアノで弾けちゃうんだよ。

第2部でブルグミュラーから入って、コーナー交代、大ちゃんが上手側に来てくれました(嬉)。
ここでゲストの弦一徹こと、元アイドルバンドのG-Clefメンバー、ヴァイオリニスト落合徹也さんの登場。

…なにやさぐれていらっさるの…
という風貌の、ロン毛ひと結び、緑のダボTにカーキのハーフパンツ、足元直前までつっかけ(さすがに家に帰って履き替えたらしい)つう、ヒップホッパー、YoYo!な感じで。
ですがこの方今やJ-POP界を席捲している弦一徹ストリングスのバンマスですよ。人はみかけに寄らないつうか、実力があればどんな風貌しててもオッケーっつうか、久しぶりだったのでちょっとくりびつ。
G-Clef時代の曲から、「Silent Siren」なんか聴けちゃって。
第2部ラストは、ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」。

アンコールでピアノ2台による「ファイト・メインテーマ」
2005年の連続テレビ小説のテーマ曲です。なんでこんなに泣けるんでしょう。
がんばれーみんな。がんばれーおれ。大ちゃんありがとう。

ライブハウスまでは通っていませんが、毎年コンスタントに2回はホールコンサートをやってくれるので
安心してチケット取って、安心して会場に足を運べる、榊原大さんのコンサート。
いっそのこと毎日やってくれないかなあ、なんて思っちゃいました。5日間ぶっ通しとか。いいとこどりですねwww
次は暮れかなあ。12月決算で平日絶対無理な環境に身をおいてしまったからなあ。うむー。

で、
私事ですが、転職してもうすぐ2ヶ月になります。これがまた。
最初に聞いていた「力抜いて楽に長く続けてほしい仕事」と全然違うんじゃ?と問うたら、前任者(切れ者)に「這いつくばって頑張って下さい」「泥被って下さい」つわれて、なんでそんな目にあうのよお、としおしおな感じの7月でしたが(方々から怒られっぱなし・大人が怒られるのって辛いんだよ)、なんとか光が見えてきた気がしています。
もう少し這いつくばって泥被ったら、なんとかなるんじゃね、的な。
明日も駅のホームでレッドブルキメて、難仕事を超えてやろうと思っています。そんな日常です。
よい夏休みをお迎えくださいませ。
posted by NEMUKO at 22:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 榊原大 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月14日

終戦のエンペラー 試写会&ティーチインイベント

私はもとからゴダイゴが好きから始まって
14,5くらいから彼らの英語の詞を書いていた奈良橋陽子さんに心酔し、今に至っています。
大学入学と共に、彼女が演出する学生英語ミュージカル、Model Productionに参加し
18で酒も飲まずに泣いて笑って、幸せな学生生活のスタートを切りました。

そして今日、そのとき以来の友人Kちゃんに誘ってもらって
奈良橋陽子さん野村祐人さん親子プロデュースの、日米合作のハリウッド映画
「終戦のエンペラー」試写会とティーチイン(質疑応答的な)のイベントに行ってまいりました。

戦記物は今まで何度となく接してきたと思えど、実はあまり詳しくないのはこの年齢の人間の平均的なものと思う程度ではあります(クサナギさんのJAで涙しましたのはちゃんと認識したうえで)。
大抵が戦中戦後の市井の人間がどのようにして生き延びてきたか
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできたか、であって
戦勝国アメリカ側の日本再生の姿勢に関してはあまり触れたものに接していないのでは。

それを斬ってくれました。
私は貝になりたい、一般市民が戦犯として処された話が何度もリメイクされていても
マッカーサーがどんな人物だったか、実際を知る日本人は多くない。

単刀直入に情け容赦ない戦犯探しから始まり。私はドキドキハラハラして画面に見入りました。
誰もが口にすることが出来ない現人神、天皇陛下その人である。
Modest&Dignity 慎み深く誇り高い、ともすると自決も辞さない日本人の国民性を
見事にハリウッドに投影した、と思いました。
そこに、マッカーサーの部下、フェラーズ准将の、日本人女性とのラブストーリーが絡んでくる。

ティーチインで、懐かしい陽子さんと、息子の幼名ジェニカこと、野村祐人さんが壇上に上がりました。
大体が、この話を日本で映画化するのは、いろんな意味でインポッシブルであると。
ハリウッド映画ではまずプロデュースありきで、監督もがオーディションで決められるは当たり前のこと。
スポンサーは、プロデューサーのパッションを受け入れるか否かで選択され(そこで松竹さん)
そこからお金集めがあって、映画が出来るまで約4年で、でも短い方だと。
そういうメイキングのお話を聞かせて頂きました。
あのちっちゃかったジェニカが立派になって(おばちゃん涙)。
歌舞伎役者の片岡孝太郎さんが出演されているのですが、出演交渉にあたり御父君の仁左衛門さんがNGを出したにも関わらず、故中村勘三郎さんが「出たらいいよ、こんな機会は滅多にない」とのアドバイスで出演を決めた、とのエピソードも聞かせて頂きました。

陽子さんは、陽子さんでしたああああああ。変わらない、なんも変わらない。
おばあちゃんになってもちょっと天然でパワフルで超我が道をゆく、陽子さんでした。
懇親会の席で、ちょっこし覚えていてもらって、嬉しかったです。

公開前なので映画の内容は敢えて避けてみましたが(ネタバレ回避さえ苦手になっているのかおら、じぇ)
私としてはすごい衝撃作でしたので、興味がわいた方はぜひ劇場へ。

渡辺謙さんの次は、西田敏行さんをぜひハリウッドへ!って感じで英語がかっちょかったぜ!
posted by NEMUKO at 23:23| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ステージ、シネマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月21日

俊一郎さん

時の人、宮藤官九郎さんである。
ご多分にもれず、「あまちゃん」を毎日録画し、ほとんど唯一の楽しみとなっている。
「中学生円山」は、2回観たところで劇場指定の前売り券1枚残して上映が終わったちっくになっている。

そして天中殺中の我が家はとんでもないことになっているが
クドカンのお陰で生きています。
前にも感じたけど、この人すっごいまっとう。
だから
少年円山は、家族愛の中で幸せな思春期をトレーニングに全力傾けられるし
アキは、母と祖母の愛の中で(パパもね)海女になったりアイドルを目指したり、夢中になれるものを見つけている。

ええなあ。

ざっくりと、こんなことで幸せを感じております。
円山くんもアキちゃんも、この上なく愛らしくて可愛い。
可愛い人を観るのは楽しい。
楽しい日は幸せ。
そんなループ。

私事ですが、フルタイムのお仕事に就業しました(派遣ですが)。
まあこんな刃こぼれのキャリアの私に、こんな席が待っていたのね、つう、外資系経理アシスタントのお仕事です。
懐かしい空気に触れて、長きブランクを埋めるため
一生懸命に戦っております。
前任者はぱきぱきした女性なので、ふにょふにょの後任者の私であってはならない。
引継ぎあと一週間、必死に頑張ります。
最後のキャリアとして長く続けたいので…

ブログもブランク作ってしまいましたが、
読んで頂いている方に感謝です。当方頑張ってまーす。
エクセル勉強しなきゃ。
posted by NEMUKO at 23:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | NEGOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。